新人対決、伊藤氏に軍配


町長選
告 示  1月10日(火曜日) |  投票日 1月15日(日曜日)

【和寒町】  任期満了に伴う和寒町長選挙は15日、投票日を迎え、即日開票の結果、1893票を獲得した伊藤昭宣氏(59)が、池田穎昭氏(64)に500票あまりの差をつけて当選した。
  伊藤氏は長年の行政経験が広く支持を受け、初当選にとなった。2度目の町長選となった池田氏は善戦したものの、当日の投票者数は3308人で、投票率は4年前の町長選を下回る89・43%となった。
今回の町長選は、昨年10月末に前町立病院事務長の伊藤氏が立候補を表明。その後11月に池田氏が2度目の町長選立候補を表明、16年ぶりの新人同士による選挙戦となった。
 伊藤氏は長年の行政経験を活かし、行財政改革やまちづくりを進めようと、経済団体などの支援のもと町民の支持を集めた。
 政策では「活気みなぎる産業のまち」「快適に暮らせる思いやりのあるまち」「活力ある教育・文化のまち」の3本の柱を明示。産業の振興や少子高齢化など、「町民が元気になれるまちづくりを」と、町民に訴えてきた。
 2度目の選挙となる池田氏は「和寒に新風を」をモットーに新たな視点でのまちづくりをと、町政への意欲を示していた。
 政策面では産業の振興や子育て支援、行財政改革の推進などの政策で町民への支持を訴えてきた。

 選挙当日の15日の有権者数は3699人で、投票数は3308票、投票率は89・43%。無効票は33票。
 4年前の前回選挙と比較すると、投票率で1・38ポイント下回った。
 町内9ヵ所の投票所から、開票所の町民センター大集会室に投票箱が集められ、午後7時から開票作業がスタート。
 防災無線による選挙速報では、午後7時55分の放送で伊藤氏が過半数を獲得して当選確実となった。
 最終的には藤井氏が1893票、池田氏が1382票を獲得した。
 40年間の行政経験を町民に訴えてきた伊藤氏が、幅広い支持を得て勝利をものにした。
 池田氏も善戦したもの過半数には届かず、涙をのんだ。
 伊藤氏はいち早く立候補を表明し、長年の行政経験を訴えながら着実に地盤を固め、支持層を拡大してきたことが当選につながった。

 一方の池田氏は伊藤氏より立候補の表明が遅れたことで、思うように支持基盤を広げられなかった。

伊藤 昭宣氏
【和寒町西町・59歳・無所属新・無職】
立候補届出を済ませた新人の伊藤昭宣氏(59)は事務所近くの大通りで、幅広い年代の支持者250人を前に第一声を述べた。
 はじめに伊藤氏の後援会「伊藤あきのりと新しいまちをつくる会」の堂前信一会長が「伊藤さんは長年の行政経験が高く評価されている。和寒町は合併が破綻し自主自立の道を進む『行革元年』とも言える。少子高齢化や過疎化など多くの問題に立ち向かうには、確かな能力を持ったリーダーが必要。伊藤町政実現のため皆さんの力をお貸しください」とあいさつ。
 続いて、藤井辰夫町長も「伊藤氏は長い間町民のために奔走してきた。この町の存亡に関わる大事な時期、この仕事をするのにふさわしい人材」と、伊藤氏にエールを送った。
 伊藤氏は激励の花束を受け取ったあと「郷土和寒町のため、40年間すべての分野で町政運営に邁進してきた、その経験を町政に活かしたい。町民が安心していきいきと暮らせる町のため、医療機関の確保や公共施設のバリアフリー化などを進めていきたい」と第一声を上げた。
 また学校給食の早期実現や行革による民間委託の推進などの政策に関しても述べ、「元気な和寒町をめざし、町民の皆さんと歩んでいきたい」と述べ、町民へ支持を訴えた。
 伊藤氏はこのあとさっそく選挙カーに乗り込んで遊説に繰り出し、真冬の空の下で多くの町民の支持を訴えていた。
池田 穎昭氏
【和寒町西町・64歳・無所属新・僧侶】 
  立候補の手続きを終えた池田頴昭氏(64)は、そのまま町内を1時間ほどかけて遊説し、午前10時から後援会事務所付近の商店街で街頭演説を行った。
 最初に石上重美後援会長が「和寒を活性化していくためには池田さんが必要。和寒を変えていくための行動力を池田さんは持っている」とあいさつ。
 このあと藤井辰夫町長らがあいさつに立ち、池田氏を激励した。
 街頭演説にかけつけた約250人の支援者を前に池田氏は、「60数年にわたり和寒町を見てきた。ピーク時は1万1千人を超す人口だったものが4300人ほどにまで減り、町が寂しくなっているのを黙って見ていられない」と人口減少が続く町の現状を訴えた。
 さらに「和寒町は単独での町政運営を選択したが、今後は第3次行財政改革を確実に、そして勇気を持って進めていくことが大切。今こそ燃えなければならないときであり、町に誇りと自信を持って和寒の素晴らしさを町内外に訴えていきたい」とした。
 また、町職員と一体となった行政サービスの展開、自らがセールスマンとなり町をピーアールしていくことを柱にするとし「新しい和寒をきりひらいていくため、みなさんと共に開拓魂を取り戻し、勇気と決断と新しい視点でまちづくりに邁進していきたい」と声高らかに訴え、町政を担っていくことへの意欲を示していた。